記憶の日記 3

ふとある人を思い出したのでその人の事を書こうと思う。大学時代に少なくだが交流のあった魅力的な柔らかさを持った同性だ。
展覧会一緒に行こうぜと誘ったのが契機でその後、飲みに出た。
建築の話になる。今の時代は、データを入力すればその人に合った事例を参照でき、提案し、敷地に合わせて変形し、快適でリスクレスで安価な建築を創れるという話である。
そんな時、建築家の建物はリスクという点で、どうして新しさを探求するのか。といったような話が出た。
社会的な意味があまり良く分からないというのは私も当時感じており、なかなかはっきりとは言えない。
私は、こういう見方と心中するから。と私からの視点でいった。
私は恐らく抗いたいのだ。何にかというと曖昧だが、このままの流れで行き着く先をほんの少しでも良くしたいのだ。
闘うということは同時に多分に人を不幸にする可能性を含む。
今も昔も私情から中々、社会的活動さえままならない。平均8時間位活動できているので今後もこの調子で良くしていこうと思う。
人様に迷惑を掛けずに、という身内の言葉をよく思い出す。修行というのは責任を果たす力を養う為にするのだろう。


今は、あるボヤっとした確信が徐々に輪郭を帯び始めた。これ以上は感覚では進めないかもしれない。
恐らくこれからは知識をまとめることと溢れてしまう私情のコントロールの格闘になるかもしれない。
目的を無理やり書くとすれば、主にこの二点の為に私は書いている。