モノの声についての経験的思索

言葉が生きる瞬間は何とも言えない。制限としてあえて、自身の経験に言葉が追いつくような感覚と捉えると、言葉が生きる瞬間の言葉の強度は論理的には自身の経験に裏打ちされている。

論理的であっても素直な欲求であっても、言葉を未来へ投げかけるとき、現在からみた嘘が多分に含まれる。誰しもが幼き日に夢見た願望と同じ心持である。追いつきたい、追い越したい、ああなりたい。こういった瞬間にも言葉が生きる事は経験上あった。しかし、今の私に足りないのは地に足をつけることでありそうなので、そうであるならば現在地を述べることしかしてはならぬだろう。嘘はいけないと人は無言で思う。しかし、もう一歩踏み込んで嘘をつくならば未来において実現しなければならない、というのは極論過ぎてどうにもいけ好かない。言葉は非常に便利なもので、嘘と本当のグラデーションについても実に多種多様な表現がある。この瞬間に誠実な表現を行えば良いではないか、と思うが、最近の直感として辞書や先人達の文章にある言葉の使い方がなくなってきている。誤読が多い。多分、ある集団におけるそれぞれの経験の持ち寄りがその集団のなかでの多種多様な言葉の定義を生み出しているのではないだろうか。切り取った集団ごとに会話の成立の仕方が異なるのが実感としてある。更に個人的な志向として、こうして私が嘘をついたとしても私の嘘を元に私以外の他の誰かが実現してしまえばそれで良いように思っている。

話が脱線したので元に戻す。私は今回の日記で別な地へ訪れる前に現在地を本当と嘘に分けて記述しておこうと思う。要するに今の経験と経験から朧げに見える次の目的地を予測したいのだ。

アントニン・レーモンドの読書感想文でモノの声について軽く触れた。私の関心事であるのでどうにか言語化出来ないかと思索し続け、自身の経験から、どうやら正直に話せる範囲と、分かっていないけどこうかもしれないという範囲に分かれた。何かの本を読んでも似たような実感を持つかもしれない、本の著者や書かれていることや想い、生き様をより良く思い起こす事が出来るのはあくまでも自身の経験から想像した事象の投影に過ぎない。経験から想像が及ばないことなど自己に存在はしないのだ。私はこう考えてしまう性質なので、あくまで私の思考は自己の経験に根差させたいとブログを変えてから実践している。

・経験的な本当の事

物体の声という霊的な力、存在を仮定したとき、直感的に正しいと思う。他者の作品を体験し、より良く思い起こす事によって、制作のプロセスを調べると、どうにも霊的な力が働いていると思われる瞬間がある。

加えて、建築のプロセスにおけるアウトプット(図面、模型、パース)においても同じことを感じることがある。建築のアウトプットは縮尺の決定や射影の方法の決定により、実際の建築物とは二次的な創造物となる。縮尺や射影の論理的なルールを自身の経験から、よりありありと体験を想像する。記述されていない現象を思い起こせるまで仮定や観察や分析を淘汰してみる。図面を観て、施工方法の難易度から施工誤差を想像し、雨の流れを想像し、この雨仕舞は危なさそうだと確かに思う。

・思索的な嘘の事

未来において本当にそうなるかは別として、さらに何年持つだろうかと想像する。メンテナンスにいくら掛かるか、一番取り換えの早いシーリング材などから想像を膨らませていく。

 

個人的な投影(最初はただの思い込み)が淘汰され、何かを観た時にある種の正しさを持つ状態と呼べるまで研磨する。

自身の経験には、体験した事と見聞したものを調べありありと思い起こした事の二つに分けられるように思う。後者の例として、近年できた丸の内のとあるビルは、ファサードについては比較的容易(安価)に取り換えられるように設計されている。純体験をした設計者はもっと踏まえているが、理由として、躯体とファサードのそもそもの耐年数の違い、災害・風化による劣化の違い、技術開発のスピードの違いなどが想像できる。前者の例として、あるコンセプトを特定の敷地に設計する際に二枚の図面がその縮尺においてこちらが良さそうだとなる経験があるだろう。図面検討の量や質によって見えるかもしれないし、経験を淘汰した見識によっても振れ幅が見えるのかもしれない。

 

・目的地

習うことと慣れることをバランスよく考えられるようになりたい。私の斜に構えたような想像力が実態においてどのような効果を持つか。

 

 

後記:

1h20min、1800語、だんだん言語化スピードが上がっているのが楽しい。

設計の仕事もスピードが求められる。設計料から逆算すると、基本設計は2Wから1Mで実施にこぎ着けなければならない。この期間に一人で3案しっかり作れるスピードを持てれば比較検討・実施のスピードが分かるので通りやすいのかもしれない。これは元同世代からの見聞なのだけれど、所属する会社の理想に近づく為の設計スピードがある人は重宝されるし、周りから甘えられる。個人的にこういう仕事で甘えられた時に大事だと思うのは、分業の仕方から責任の所在をはっきりさせて(できるか、できないか言わす!)できなければ途中からの仕事を自分の仕事にして給料を上げて貰うのが最良かと思った。理想は先方に最良の結果をチームプレーで持っていくことなのだけれど、実力がいるし、その時のそれぞれの精神状態もあるから、理想通りにはいかない。こういう瞬間を見極めた時点で自分を守りに入らないと苦しくなる。