私的世界定義 1_1 ー 次元間を横断する因子についての考察 ー

考察;

すべての物事は突き詰めれば解らない。体感的になんとなく分かることはあるかもしれないが。石が、アゲハ蝶が、竹笹が、他人が、自分が本当に何を考えているのか解らない。すべては説明不可能な霊的な存在だ。そうなると八百万の神が出現する。そうであるならば、自分の中にも神のような説明不可能な存在や力のようなものが働いていると言える。感じ取れる全てのものに対して私なりにより良く観察を進めると、何やら霊的な力がそれぞれ影響を与え合っていそうだ。しかし霊的な力を有する存在はその瞬間には物理的に「そのまま」存在している。ならば霊的な力が存在に影響を与えるというのは影響を与える事が可能な何かに変換されているからではないだろうか。ここでは変換し何かと何かの間を架け渡す力を総称してProjectionと呼ぶ。Projectionの語源は錬金術用語まで遡る。錬金術において金を創り出す、A+B→Cを創り出す不可逆的な反応(→)である。

全ての物理的な事象と精神的・意味的事象は相互作用を果たす。例えば、私が石を発見し、研げば旧石器時代のように使える、と考える。この一連の誰しも思ったことのありそうな発見には、対象を石に合わせる物理的な行動、小学校で学んだ歴史の知識への参照・連想、が含まれる。この時、私の眼球の操作から…という様に分解せずともこのままの文章の中でProjectionが行われている。物理的な物体を観た事から空想的な回想・発見へと変換している。(更に言語化している。)何が言いたいかというと、物理現象と精神・意味世界は私の経験上、何かしらの力でもって繋がっている。前提としてそれぞれの場所を区別して置いているが、区別した場所(ある集合による界)をProjectionによって変換し横断することとなる。もっと易しく言えば、人間は何かと何かを区別して整理整頓、秩序立てるのは自明かと思われるが、区別した途端、逆説的に、区別を横断しようとする力が無意識・意識的に現れる。Projectionに対して無意識だと区別の前提を形作る界の中で集団の流れに身を任せる力となる可能性が高い。意識的だと流れに抗うことが可能性として高い。両者とも経験から何となく考察した結果である。

 

ここまではただの心ない経験の考察からの定義である。ある信じられる目的にそって続編に記述する。