Geoffrey Bawaの略歴と理解への手助け

スリランカの建築家 Geoffrey Bawaについて論文めいたものを学部4年生で書き、その後しばらく折に触れて調べ続けてみたので、かいつまんでまとめようと思います。

 

 

Bawaの略歴(必要なものだけ)

先ずはWikipedia先生を参照してください。

ジェフリー・バワ - Wikipedia

私はあまり社会的な実用性を考えるのを重視せず、個人の内面に触れたいと思ってしまうので、事実とされていることを文献から漁り、人生の流れを私なりに汲めたらなと考えております。先ずは記録が残っているものを一部記しておきます。

バワがスリランカに渡り独立してからをごく簡単に建築について私なりに区別してまとめると、

1_AAschoolでモダニズムを学ぶ

2_スリランカにて独立後、ウルリク・プレズナーとモダニズムを実践する→大失敗

3_植民地以前のスリランカ伝統建築をプレズナー(クラフトマン)と週末に実測調査(長期に渡る)

4_古典建築について要素を分析

5_スリランカに土着的な建築を実験

(エナ・デ・シルヴァ邸、ポロンタラワ・エステイト・バンガロー、マネイジャーズ・バンガロー)

6_プレズナーと決別→次のクラフトマンと組む(名前忘れました…申し訳ない)

7_建築の大規模化、多地域化(←スリランカでの有効性、風土への理解の方法、当時の技術での構築の確立)

(バワ島で建築するときもバワ島での伝統建築を最初に調べる)

8_ルヌガンガの自邸という桃源郷?で暮らす

 

大雑把にこのように区別するとバワにおける建築との関わりの中での個人史が大別できるかと考えております。

 

3,4_について、

バワとプレズナーの実測調査のドローイング集が、恐らくバワ財団かモラトワ大学に存在すると踏んでいるのですが、拝見していないので、ここでは別な観点を少し紹介したいと考えております。

バワとプレズナーはスリランカ人で女性建築家のバーバラ・アンソニーとも親しく文化交流をしていたのですが、バーバラ・アンソニースリランカの伝統建築を

meda midura

が重要な要素であるとまとめております。語源やスリランカの庭の形式や文献を辿ると、アラブの中庭形式に辿り着く、と記述があります。(個人的にはローマの中庭形式の精神的構成的な垂直性がスリランカに辿り着く過程で、水平性へと変化したのでは?とも思うのですが…)

バワとプレズナーはこういった伝統建築の分析や実測調査を現代に活かすうえでいくつかの要素を抽出しております。(プレズナーの自伝;In Situに記述あり)

・室内になるべく多くの中間領域を設けること
・長く緩やかに傾斜した屋根の低い軒による日射遮蔽
・幅と奥行きのある開かれたベランダを創設すること
・エントランスからの見通しを良くすること
・格子の窓による通風とセキュリティの確保
・集密都市には境界線上に塀を設けて敷地内外を区別すること
・害虫のいない寝床、休息所に美しい家具を備え付けること
・歴史のある建物から多くの用と美を学ぶこと
・巨大な壁、支柱や天井への描写や色染めには、
 壁画のように多くの寺院で賛美された精神があること

バワとプレズナーは建築物の権利問題で揉めたという記述があるので、恐らく、プレズナーの自伝は戦略的誇張もあるかと思います。多々ある文献に当たると、プレズナーが多くのスリランカ伝統建築を実測し、バワが思想的な部分を担っているように思われました。

加えて、大抵のスリランカのホテル(西洋人が休息に来る)には水辺やプールが近くに存在し、風の流れを利用したり、風を発生させる、いわゆるパッシブデザインを取り入れております。

夏も快適な涼しさ!あの贅沢さは言葉にしづらいです。夏を感じられるのだけど、夏を楽しめるというか…

 

まだまだありますが、今回はこの辺りで!

 

お願い;

スリランカは雨季が夏の終わりに到来し、雨季の終わり頃に蚊が大量に発生するので、その時期の旅行は病弱な方は控えた方が良いでしょう。氷は消毒していないものが多いので注意が必要なのと、調子に乗って美味しいカレーを食べすぎると胃が悲鳴を上げます。あれ以来、お腹は強靭になりました。

旅行した際に、実測調査のドローイングを観れた方は是非ご一報下さい。