記憶の日記2

昼の空を見上げます。眩しさに目を細める。この一連の動作から私は体育祭でのグラウンドの眩しさの中で聞くあの退屈な校長の話が頭をよぎります。ええとあれは何歳の時だっけ?

夏の色鮮やかさを思い出すときは湿気が熱せられた質感がトリガーになることが多いです。そう質感がない思い出は美しくなりがちで、質感を伴う思い出は生々しくなりがちですね。

そうそう今日みたいな日の夕方の日が沈む前に、アスファルトの道路で寝転んで温まっておりました。夕方の日向ぼっこを発明したな。最終的に車が来て運転手に怒られたな。

紅茶とマドレーヌによる旅行みたいに、、、

私的世界定義ー科学的世界定義の積み上げの一助として 1_0 20180724現在_目次

序:

私はその都度の経験から空想や思索する事にかなり耽っておりました。簡単に言えば、心ここにあらずの状態でした。結果を伴わない思索は実益性に欠け、社会的評価はかなり低いと言えるでしょう。しかしながら、アーティストや僧侶などが証明を行わないまま人間の真理というようなものを作品化、言語化し、後世において証明されてしまう様に、空想や思索を淘汰し続けることによって今の世の中で証明できない事物に辿り着くことは歴史的には存在しております。私もそれは人間に与えられた特権だと考えるようになりました。そして、私という人を実験体として自身の経験に対しての思索を行い続けるにつれてある確信につながりました。フランス語のHistoireは歴史と物語の両方の意味が存在しております。学問として歴史を突き詰めると歴史は論理的やその時代の常識的に証明し得ない奇跡や絶望めいた瞬間の積み重ね(物語)が存在するのです。私の空想や思索は私的歴史の私が正しいと思うものに抽象(意味の淘汰)を行ったもので、独自の解釈と言えるでしょう。これを書き記すことはそれ自体では意味が御座いません。本日の目次と後の考察はこの直感めいた確信を科学的や論理的により良く解釈・活用して頂ける方に読んで頂きたいです。

 

主観的経験の物理的記憶と意味性の淘汰の過程について

この世界の成り立ちを理解したいと思います。私が現実生活とパラレルに空想に耽るようになってから現実の時間軸では丁度10年程となりました。もっとも空想の世界(Imaginary Space)での時間間隔は伸縮が可能でしょうからどのくらい捉われ考えていたかは比較対象が無いものなのでよくわかりません。空想の定義は、好奇心と探求心により、自己の経験をより良く思い起こすことや経験同士を繋ぎ合わせた際に心に思い浮かぶ直感的な像を言葉、行動、絵や立体造形によって抽象・捨象するとなるでしょう。抽象的に私という個体を通した自己実験の方法が最終的にどうなったかをまとめれば、私は記憶の箱をImaginary SpaceとPercepective Spaceの二種類に分けて格納し(それぞれ、Imaginary Memory, Percepective Memory)、時に混ざり合い、時に区別しながら私の空想からより良い定義の為の格納すべき抽象を淘汰しておりました。淘汰の方法は現実空間(Physical Space)での個人的知覚(Perspective Perception)からの観測を行い、なるべくそのままPhysical Memoryに入れておきます。必要に応じてImaginary Spaceにて意味性を検証し、淘汰したものをなるべく格納するようになっていきました。区別が取り払われる瞬間が時々現れます。観測事象を科学的論理的に検証するのではなく、主観的個人的に検証するというのは現代の世界でこの方法が本当にその通り行われたかは実証不可能であり、このように書くことは狂人じみております。ですが、問題は、この際のノーテーション(思考の言語的記述方法)と、結果として導き出された私なりの応答がこれより先の世界において有効となり得るか否かという事になります。応答と書いたのは、私という物語を私自身で客観的に観測しようとした結果の報告書のようなものだという事です。ご了承ください。

 

目次:私的応答の結果としての世界の諸原則の次元

 

私的経験を考察する事による次元間の横断現象について

・Projection -次元間の作用変換について

 

私的経験の考察による科学分野の次元

・2要素からなる時間:(Imaginary Time, Physical Time)

・2もしくは3要素からなる空間

・物理空間の差異による空間と時間の変化

 

人間という集団の原理 :社会集団の中でのImaginary Spaceについて

・差異概念:ある集合(界)に対する個々の意味を見出すという事について

・共通概念:ある界に対する差異概念の補集合の最大公約数として

 

社会集団の中での独立した原理を有する創造物

・お金

・技巧的表現(音楽、詩、言語)

・生物と静物の相互利用

・人間としての目的

・人としての感情

・信ずるという事と責任

・生命力についての偏見的考察

 

・次元間の相互作用

 

後記:

この思考方法は経験を哲学、よりよく考察することによって個人的に得られた一つの解釈である。よく偉大なる哲学者たちがある種の普遍性に辿り着き、その後自殺するケースが多い。所謂、死に至る病というものだ。安心して欲しいのは私はたぶん自殺などしないという事である。ある種の普遍性は私の定義によれば、ただの一つの解釈であって、自ら命を落とすほどに捉われるものではないと信ずる。現実社会の実態が変化する、又はノーテーションする仕方を変えるだけで解釈などすぐさま変わるであろう。幸運にも私がこのような考えに至ったのは最終的に自らのそして同時に人の生命力を信じたからである。私のこの記述はその都度変化するかと思う。暫定的に、というのは個体としての時間の終わりの視点からの中では断片的な、わたし独自の今この瞬間の解釈だからである。論理的思考を男性的なものとするならば、すぐさま心変わりをしてしまう女性の生命力を手に入れることが自死を回避するのに必要なのではないだろうか。人間として世界の一片でも解明したいという事と社会集団の中でよりよく生きていきたいという事は共存できると私は信じる。解明に捉われて心を虚しくしては虚無につけ入れられるだけだろう。一番好きな、ジブリもののけ姫の中でもこんなセリフがある。生きてりゃ何とかなる。そう生きてさえいれば、よりよく生きようとしてさえいればよいのだろう。こんなことを書きながら、私はスパイスのきいたハンバーガーを頬張り、美味しいコーヒーを飲み、煙草をふかす。至福のひと時である。

この思考体系は私の体験の空想という方法による積分と言えるだろう。人間の目的に沿って、建築の分野で、この後、実益性を持つまで微分していくことに挑戦する。

 

 

記憶の日記1

夢を見ました。でも、あまり深く眠れないので、こういう夜は自分というものを見つめなおしてみるといいかもしれないと思い、書き綴ろうと思います。

自分を書くというのは少なくとも私にとってはかなり難しい事のように思う。語れない事の方が多く存在していたのに過去に言葉にしようとしていたというのが遅ればせながら最近の実感であります。なので良い影響を受けた出来事について日記カテゴリーで書くつもりです。

 

先ずは、幼少期について、

幼稚園に入学する為の手提げかばんにつける目印として、刺繍を選んでいました。だから2才の時の記憶であると分かるのですが、セサミストリートのエルモーかウルトラマンかあともう一つから選びなさいと母に言われて、嬉々としてウルトラマンを連呼か指差していました。母と三女にエルモーの方がかっこいいよ、と上手く誘導されて最終的にエルモー(赤いやつ)になりました。

記憶は不思議なもので、これ以前の記憶はなく、これ以降の記憶は3才の幼稚園入学後のある朝まで飛びます。

ごはんよー!で跳ね起きて布団をたたみ、急な階段をどたどた駆け下りてご飯を食べて、幼稚園へ行きます。

記憶はまた飛びますが、おぼろげな記憶の中で、幼稚園の園路を1.5kmくらい歩いて向かうのですが、途中にとある高校の銀杏の木が存在してたのが印象に残っています。よくそこで遊んでおりました。綺麗な黄色が高校の敷地内にしっかりと立っておりました。

 

眠くなってきたのでまた気が向いたら書こうかと思います。

読書感想文; 私と日本建築, アントニン・レーモンド その2

今日は、一八年間の日本生活の章を読みました。思ったところを書き綴ろうと思います。

 

本の当時の建築物を巡る分業や仕組みなどが大変興味深く感じられたので端的にまとめておきます。

・建築家の代わりの大工の棟梁の存在と実態

・易者の存在と実態

・数百年の経験を経て規格化された部材と問屋

・建築物のグレードと大工の棟梁と建主の共通感覚

・建築物の評価の大衆化(建築物の効果と経済性による)

 

第1章、2章で私なりに感じておりました日本人の精神性が実態としてどのように現れていたかということでしょう。

読書感想文; 私と日本建築, アントニン・レーモンド - tks_mtd’s blog

建築学んだ人なら「日本の民家」に顕れているような建築物は外国人の視点から見るとこんな風に分析できたのだなと感じたと言えば分かりやすいかもしれません。

他の例では、男性のシャツの襟はなぜあの形をしているのかを暮らしの中で当たり前に教わり教えるのだといえば分かりやすいかもしれません。それが建築物でなされていた。

 

本の中で、一番印象に残った文章を書いておきます。

「棟梁による仕事は、知識といい、出来栄えといい、常に驚きであった。正しく独得の領域である建物を形成するあらゆる要素を、湧き出させる基礎になっている。柱は柱、梁は梁、ありのままで無装飾、そして仕事は完全無欠。建物の中ではいかなる材も無駄なく、働きのない材はない。不要物の省略は完全に徹底し、その基準は、その効果と経済性によってあらわされる。」

 

これらの事は今よりだいぶ昔の歴史であって、今の現代の問題とは直接は結びつかないかもしれません。この当時を今からよりよく思い起こしてみると、物も者も声を発し、ある種の正しさをもってそれぞれが扱われていたと思います。私や私の周りをこの当時と比較して思い起こすと、者がそれぞれが声を発し、独特な正しさを持ちうる。物は者の声に従って扱われる時代なのかもしれません。

 

後記;

話は変わりますが、昨日の黄昏時のほんの3分間に綺麗なグラデーションが至る所にかかっている空を見ておりました。虹より綺麗だなと。

原田知世「くちなしの丘」

www.youtube.com