読書感想文; 私と日本建築, アントニン・レーモンド その2

今日は、一八年間の日本生活の章を読みました。思ったところを書き綴ろうと思います。

 

本の当時の建築物を巡る分業や仕組みなどが大変興味深く感じられたので端的にまとめておきます。

・建築家の代わりの大工の棟梁の存在と実態

・易者の存在と実態

・数百年の経験を経て規格化された部材と問屋

・建築物のグレードと大工の棟梁と建主の共通感覚

・建築物の評価の大衆化(建築物の効果と経済性による)

 

第1章、2章で私なりに感じておりました日本人の精神性が実態としてどのように現れていたかということでしょう。

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建築学んだ人なら「日本の民家」に顕れているような建築物は外国人の視点から見るとこんな風に分析できたのだなと感じたと言えば分かりやすいかもしれません。

他の例では、男性のシャツの襟はなぜあの形をしているのかを暮らしの中で当たり前に教わり教えるのだといえば分かりやすいかもしれません。それが建築物でなされていた。

 

本の中で、一番印象に残った文章を書いておきます。

「棟梁による仕事は、知識といい、出来栄えといい、常に驚きであった。正しく独得の領域である建物を形成するあらゆる要素を、湧き出させる基礎になっている。柱は柱、梁は梁、ありのままで無装飾、そして仕事は完全無欠。建物の中ではいかなる材も無駄なく、働きのない材はない。不要物の省略は完全に徹底し、その基準は、その効果と経済性によってあらわされる。」

 

これらの事は今よりだいぶ昔の歴史であって、今の現代の問題とは直接は結びつかないかもしれません。この当時を今からよりよく思い起こしてみると、物も者も声を発し、ある種の正しさをもってそれぞれが扱われていたと思います。私や私の周りをこの当時と比較して思い起こすと、者がそれぞれが声を発し、独特な正しさを持ちうる。物は者の声に従って扱われる時代なのかもしれません。

 

後記;

話は変わりますが、昨日の黄昏時のほんの3分間に綺麗なグラデーションが至る所にかかっている空を見ておりました。虹より綺麗だなと。

原田知世「くちなしの丘」

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