読書感想文;今日のディテール1~5

まだいくつか本を読み進めている状態なのですが、学生を終えてからというもの、ずっとある違和感を抱えておりました。それは、大学生時代(主に4年から院生)の学問が実務に直接的に役に立たないという事です。学部はほぼ教養の範囲かとも思われますが、よく言われているところの学問と実益性が乖離しているという話です。

今回は実益性を得る以前の話です。

建築家や建設会社が各々こうなるだろうと予想して建てた建築物が竣工後、ディテールの劣化や修復や計画自体の検討を通して、何度も開発が行われました。その知の発展を我々の年代、少なくとも私は、建築物の仕組みは理解できても成り立ちが理解できなかったのです。なので図面は読めても、抑えるべきポイントはどこなのかが分かりづらく、かつ、例えば本当に雨漏りしないのか、といったことに関して直感が働かないのです。

メーカーなどと分業し共に作り上げるのですが、恐らく今の建築家たちはその流れを追えるような交流や学問や知識が詰め込まれていたのではないかと想像致しました。私の世代が年配者となった時に統合者としての力が増々無くなってしまうのではないかと考え、どうしたら良いものかを独自に考え、調べておりました。

 

https://www.amazon.co.jp/今日のディテール-4-彰国社/dp/4395110088

2000年以降の建築雑誌等を読み漁り続けますと、どうやら何かおおもとがあるのではないかという考えに行き当たり、遡るように過去へと回帰していきますと、今日のディテール(1~5巻)に行き当たりました。更にさかのぼると、どうやら実益性としては建築部材の工業化以降と以前で異なるように思われます。(精神性は資料としてもっと古く遡れるようですが…)

この辺りを端緒に技術や知識が展開していったように感じられるのはもっともな事なように感じられます。各々が今より前の歴史を踏まえ、何か積み上げを行うのならば、歴史を個々人が順に辿っていく必要があるのではないでしょうか。アントニン・レーモンドが日本の伝統建築を参照し、雨仕舞を深い庇でなるべくカバーするようにした物の造り方の流れもあります。深い庇を訳あって作れない場合、外壁とシーリングと内圧と外圧、水の掃き出し口が検討、展開されております。建築物から法規を捉えなおす流れも御座いました。新しい技術も生まれそうな気配も漂っております。

 

余談ですが、私の内面を最後に少し書き記そうと思います。

ある前提(お施主様、敷地、コンセプトなど)を前にした私の心の中の絵の輪郭の振れ幅は、建築に対しての詳細の知識を追うことによって、どこがぼやけており、どこが無理をしているのか、といった事がなんとなく見えてくるようになりました。論理的ではなく感覚的にということですが、どうやら学生のうちに独自になんとなく言語化できるまで辿らないといけなかったようです。いつの時代も言われておりますが、学問の効用がまったくもって見え辛いのではないかと思い、書き記しました。

 

明日はまたアントニン・レーモンドの読書と卒業設計の検討を空いた時間に行います。

広く読み続けておりますディテールについては何十年後かに思うところをまとめられたら幸いです。